収穫の秋の思い巡らし
2011-10-01


早くも一か月が過ぎて、また高津教会に近況文を送る時期になりました。9月の報告文には、こんなことを書きました。


  いつもお祈りとご支援をありがとうございます。特に台風12号で教会前を流れる川(川崎の二ヶ領用水ぐらいの川)が増水して溢れた際には、礼拝時にも祈ってくださったとのこと、本当にどうもありがとうございました。地形が幸いして会堂までは水が来ず、流木や泥の掃除が少し大変だったぐらいのことで済み、感謝でした。

 涼しくなり、半そでのワイシャツを片付ける時期になりましたが、次にこれを着る時は、もう神学校を卒業しているのだなと思うと、ちょっとした感慨を覚えます。神学校に入ってから3年以上があっという間に過ぎたような気もしますが、4回も夏を過ごして来たのですから、決して短くはなかったなと感じています。

 ここ姫路教会の周囲には田んぼが多く、今は収穫の時を迎えています。昨年の夏期実習の時は田植えが終わってからここに来て、稲刈りが始まる前にここを去りました。しかし今年は、田を耕し、水を張り、田植えをし、穂が出て案山子が立ち、稲刈りをするまでの全行程をすぐ近くで見ることが出来て感謝です。たわわに実って頭を垂れる稲穂を見て心の平安を感じる時、自分が日本人であることを強く感じます。

 さて、田んぼには肥料もまかれるでしょうが、米粒の大半は水と二酸化炭素、そして光のエネルギーを利用しての光合成により出来るわけですから、私たちは天が与えてくださる恵みに、もっと感謝すべきだろうと思いました。モーセに率いられたイスラエルの民が天からのパンであるマナによって養われたように、私たち日本人もまた、天からの恵みによって養われているのですね。光合成の仕組みは驚くべき天の知恵であり、このようにして宇宙(コスモス)を支配する法則とは、まさに「ロゴス」であると感じることです。

 「すべてのものは、この方によって造られた。」(ヨハネ1:2)

 「この方」とは「ロゴス」であるとヨハネは記しています。この、日本語では「ことば」と訳される「ロゴス」はギリシャ語では単なる「ことば」だけにとどまらず、「理性・知恵」などの意味も含むのだそうです。太古から日本の食文化の中心である米は、光合成という天の「ロゴス」によって作られているのだと知る時、日本人も昔から「ロゴス」の恩恵をたっぷりと受けていたのだとわかります。

 「ロゴス(ことば)は人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
 「わたしは、天から下って来た生けるパンです。」(ヨハネ6:51)

 ロゴスはイエス・キリストという人として降誕しました。多くの日本人はイエス・キリストを自分とは関係のない存在と思っていますが、米食という日本人の食文化一つを取っても、日本人とイエス・キリストとは古くからしっかりとつながっていたことがわかりますね。この秋、収穫間近の稲穂を眺めながら、こんな思い巡らしができて感謝でした。
[聖書]
[信仰]

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