路傍説教・全面改訂版
2010-06-05


明日の日曜日の夕方、いよいよ船橋の街角で路傍説教を行います。
この日のために周囲の方々がたくさんお祈りしてくださっているので、とても心強く、街角に立つのが楽しみになってきました ^^
 説教の原稿も全面的に改めました。『RAILWAYS』を見たら、本来の自分が心の奥底で求めているものについて訴えたくなったからです。
 一人でもいいですから、教会に導かれる人がいることを願っています。

【心の底で求めているもの】(路傍説教原稿)

 こんばんは。
 これから、しばらくの間、神様からのメッセージを宣べ伝えさせていただきます。

 突然ですが、皆さんは人生に何を求めていらっしゃいますか?
 もし、

「あなたがたは何を求めているのですか?」

と聞かれたなら、何と答えるでしょうか。
 すぐに答えることができる人もいるかもしれませんが、すぐには答えられない人が多いのではないでしょうか。

「あなたがたは何を求めているのですか?」

 新約聖書の中に「ヨハネの福音書」というイエス・キリストの生涯を記した書物があります。このヨハネの福音書に記されているイエス・キリストの第一声がこの、

「あなたがたは何を求めているのですか?」

です。イエス・キリストは自分について来た二人の男にこう聞きました。
 二人は、急にこんな質問をされて戸惑ったのでしょう。答える代わりに逆に聞きます。

「先生、今どこにお泊りですか?」

 イエス・キリストは答えました。

「来なさい。そうすればわかります。」

 この答えは、どこに泊まっているか分かります、という意味もありますが、それ以上に

「あなたが何を求めているのか、来ればわかりますよ」

という意味の方が大きいでしょう。
 本当の自分が、心の奥深いところで何を求めているのか、私たちには実はよく分かっていないのです。

「あなたがたは何を求めているのですか?」
「来なさい。そうすればわかります。」

イエス・キリストは聖書を通して二人の男に対してだけでなく、私たち全員にそう語り掛けています。

「あなたがたは何を求めているのですか?」
「来なさい。そうすればわかります。」

 このイエス・キリストの質問と答えには、いろいろなことを考えさせられます。
 私たちは生きている以上、何かを求めて生きているはずです。
なぜかと言うと、生きていると大変だったり、つらかったりすることが多いからです。
 それは自分が求めている通りの人生ではないから、大変だったり、つらかったりするのでしょう。
 では、私たちは何を求めているのでしょうか?

 例えば、「お金」というのは分かりやすい答えです。
お金は誰でも欲しいものです。
 しかし、「お金」が

「あなたがたは何を求めているのですか?」

の答えではないということは、たいていの人が分かるでしょう。
 この質問は、そんな表面的なことを聞いているのではないのです。
 私たちが、もっと心の奥深い所で求めているものについて聞いているのです。

「あなたがたは何を求めているのですか?」

と聞かれて、

「お金です。」

と答える人がいるとしたら、その人は本当に表面的な世界でしか生きていない人か、心の底から貪欲な人か、のどちらかでしょう。

 では、次のような答えはどうでしょうか。

「あなたがたは何を求めているのですか?」

と聞かれて、

「愛です。」

と答えるのはどうでしょうか。

「あなたがたは何を求めているのですか?」
「愛です。」

 いかがでしょうか。ちょっと恥ずかしいでしょうかね。実は、私もちょっと恥ずかしいです。
 でも、これは大正解です。


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