2009-05-29
映画『重力ピエロ』の中で、ブランコ上の相手に腕をつかんでもらって空中を行ったり来たりするピエロを見て、子供がお父さんに心配そうに、「あのピエロ、大丈夫かなあ?」と聞きます。すると、お父さんはこう答えます。「大丈夫だよ。あんなに、楽しそうなんだもん。」そして、つけ加えます。「楽しそうに生きてれば、地球の重力なんて消してしまえるのさ。」これは、心に残るセリフでした。私たちは、幸福感に包まれると、本当に体が軽くなったような気がします。これは、可逆的な双方向の関係のように見えます。双方向の関係とは、体が軽くなると幸せになるし、幸せになると体が軽くなる、ということです。お風呂に入ると気持ちがいいのは、体が軽くなるからなのですね。しかも、温かいお湯がまた、体の緊張をほぐしてくれます。
さて、先週の教理Uの「キリスト論」の授業で、河村先生が、大変興味深い話をしておられました。人間がまだ創造されていなかった時、世界は神に満ちていた、神様は遍在するお方だから、そこらじゅう、神様だらけだった、と図解入りで説明してくださいました。その神様だらけの空間を神様は人間に譲ってくださったのだと、おっしゃっていました。これを、人間がお湯に入った時、人間の体積分のお湯が除かれることと等価であると考えてみようと思います。すると、水の場合に排除された水の体積分の浮力が生じるように、神様により、体に浮力が生じることになります。アルキメデスの原理と同じ、ということです。ある物体により排除された流体(液体とか気体)の体積分の重力に相当する浮力が得られることを「アルキメデスの原理」と言います。だいたい紀元前220年ぐらいのことだそうです。この原理をアルキメデスは風呂に入っている時に発見したそうで、アルキメデスは発見したことがうれしくて、裸で街中を走り回ったという伝説が残っています。そのアルキメデスの原理は、物体と流体との間だけでなく、私たちと神様の間にも働いているのではないでしょうか。私たちが神様の恵みに包まれて幸福感を感じ、体のフワフワ感を感じるのは、まさに神様の浮力が働いているからではないでしょうか。
マリヤはイエス様のみことばに聞き入り、いい気持ちになっていました。私はこれを、「みことばのお風呂」と呼びたく思います。みことばのお風呂に入ると、体が温まるのと同時に神様の浮力により重力からも解放されて、体が軽くなります。一方、マルタは同じ場所にいながら、このお風呂には入っていませんでした。マルタの奉仕も貴いものであったと思いますが、イエス様は、良いほうを選んでいるのはマリヤだとおっしゃいました。イエス様は、マルタとマリヤのどこに注目しているのでしょうか。私は二人の霊的な状態だと思います。マリヤのほうが、霊的に良い状態にあるのだと思います。そして、霊的に良い状態とは、神様の浮力により、全身が浮力を感じている状態のことではないかと思います。
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