永遠に確かなもの
2007-03-19


日本人と外国人の遺体に対する考え方の違いには宗教観の違いが浮き彫りになっているはずだと思って取り寄せた本であり、果たして著者も「宗教観」という言葉を使ってこの違いを考察していた。確かにその通りなのだろうと思う。しかし私はさらにもう一歩踏み込んで、確かなものを持つ者と持たない者の違いと考えたいと思った。遺体を大事に思う者は他に確かなものを持たないから遺体を確かなものとして大事に思うのだと言ったら言い過ぎであろうか。このブログを読んで不愉快に思う方がいたら申し訳なく思うが、私自身もかつては確かなものを持たずに荒れ野をさまよっていた者だから分かるのだ。では、確かなものとは何か。それは冒頭に示した通り、神のことばだ。私たち聖書を読む者は、この中にある御言葉にしっかりと支えられて日々を過ごしている。今ではあまりに安定し過ぎていて、不安を抱えて生きていた頃の不安定さが懐かしいと不謹慎なことを思ってしまうほどに聖書は私の心の背骨をしっかりと安定させてくれている。神のことばは肉体のように朽ち果てることはなく永遠に残るものであり、それを信じる者には永遠の命が与えられる。遺体は貴いものであり、それを出来得る限りの努力で丁重に扱い、きれいにして遺族のもとに戻した日航ジャンボ機事故処理関係者の活動もまた大変に貴いものであり、敬意を表したい。しかしそれ以上に貴いものが他にあるということを再認識することができた一冊でもあり、この本を読むことができたこともまた感謝であった。

☆初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
 (ヨハネの福音書1章1節)

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